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ここは西東京の地域をいきいきさせるために生活者ネットワークを利用してやろうという個人のブログです。
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今回の都知事選は泡沫候補がいっぱい出てる。
とくにタケヤブの一押しがこの人。
You Tubeで見られる政見放送です
http://www.youtube.com/watch?v=0B-f7l6BKCI
(すぐ削除されるみたいなので、リンクが切れてたら検索してみてください。)

この人の特筆すべきところは、↑の政見放送をご覧いただければわかるんだけども、
「諸君(有権者)を軽蔑している」だの「投票なんか無意味だ」
さらには「政府を転覆せよ」だの、それでいて選挙に出るのは全く自己矛盾。

これほどひどくないにしても、他の泡沫候補はどうなんだろうと、可能な日は、夜11時からのNHKの政見放送をみてみた。

まあ、すごい。英語で政見放送するひとだの、自分の裁判闘争を得々と語る人だの、まあともかく独りよがりの演説ばかり。東京都なんの関係があるの?ですよ。でも、そういう人も立候補していい。そこがポイント。何があってもいい、合法である限り、非常識でもいい。それが民主主義だ。

考えてみれば、NHKの職員は、石原だろうが、非常識な人だろうが、おなじように説明し、同じようにお茶を出して、同じようにスタジオに招き入れ、同じようにカメラを向け、同じように番組を作成するのだ。その膨大な無駄、非能率が民主主義だ。当人も300万(だっけ?供託金)はらってアピール権を得るわけだ。それを許す寛容。わがニッポンの民主主義万歳。皮肉ではない、これが民主主義の成熟ということであり、私たちはそのあまりの非能率、バカバカしさに耐えなければならないのだ。

選挙の開票においても、かの同盟国のように不透明なことはない。結果は明瞭、その日のうちに完璧に明らかになる。それでよし。

さて、今日4/7。タケヤブは夕方吉祥寺にいた。四時過ぎに浅野氏が駅北口に到着し、集会がはじまった。偶然だが、とどまって見届けることにする。見渡すと、やはり年齢層は高い.のぼりは「団塊ネット」、「連合」そして勝手連の青い旗、政党の旗は見えない。公選法のせいなのか、どうなのか。菅直人、浅野史郎、保坂展人がスピーチをする。司会は蓮舫。本人は「政治をあきらめない」と繰り返していた。投票するときに「さらっと書く」のではなく「しっかり書く」「しっかり気持ちをこめて書くと2票になるわけではない」でも「その気持ちが大事」とのこと。こういう可愛らしい精神論が似合うね。

集会に集まった人たちにとっては「石原NO」は大前提であるから、石原の別の意味での精神主義を批判して、そうじゃないんだという組み立てになる。福祉をしないとは石原もいってない。その他に明確な争点があるわけではないので、結局は政治姿勢の対照になる。

冷戦終結後、政治も経済も停滞期にはいってしまうと、壮大なビジョンは描けない。結局は強いリーダーシップのトップダウンか、市民に支えられたボトムアップかのどちらかだ。前者は有能な人がなった場合、効率がいい。しかし、一人の能力に支えられた政治は危険だ。後者はその逆。タケヤブは基本的に後者を選択する。たとえ効率は悪く、間違いがあろうが、そのすべてが共有されていることが大事だと思うからだ。強いリーダーは小集団ではよい。優秀なリーダーであれば、集団の全体、あるいは一人一人を感じることが出来るし、メンバーも人間関係に基づいてリーダーとのコミュニケーションが可能だからだ。しかし、大集団になると、強力なリーダーにとっては、大多数は操るべきコマになってしまう。それはダメだ。

本人は中央線を東進。新宿方向へ.中野で集会後、新宿でフィナーレとのこと。タケヤブも新宿に行く予定。そこでの様子もみられるかも。

吉祥寺での予定をすませて、新宿へ。7時過ぎ。東口アルタ前は土曜の夜でもあり、人でいっぱい。その向こうに選挙カーの上にたつ。本人ほか。でも、吉祥寺のように求心的な感じはない。漠然と人がいる感じ。多くの人がビラ撒きをしている。その人たちにはある種の傾向がある。

人ごみを抜けて大ガードの方に向かう。
群衆の端でビラをまく女子(大学生だと思う)彼女は明らかなに「ある種の傾向」から外れていた。

生真面目な態度。明らかに疲れていて。
「ミンナノチカラデ、トチジヲカエマショウ・・・」
差し出される青いビラ。

彼女と話してみたいと思った。
(アナタハ ドウシテ コノウンドウニ クワワッテイルノデスカ)

そういえば、金曜の夜10時過ぎ、通勤路の乗換駅で、降りてくる人たちに向かって青年が二人、共産党候補応援と思われる(候補者名を言ってはいけないらしい)の呼びかけをしていた。肉声で、改札まえの道路にたって棄権しないように、ほんとうに僕ら若者の未来を守ろうとしてくれている人に投票したいというような呼びかけをしていた。ああ民青か、というふうにタケヤブは思わなかった。彼らの声を背中に聞いて改札を入りながら、階段を上がる前に振り返ってもう一度彼らをながめた。

「お訴えをさせていただく」だの「今一歩の広がりをお願いする」だのいうステロタイプなものでない表現がそこにあった。普通共産党の運動員は原稿を読む。辻にたってハンドマイクで出来合いの原稿を読むのだ。かれらはそうではなかった。

自分の肉声で届く範囲の人に直接はなしかければいい。

浅野支援の女子と吉田支援の男子の姿が、タケヤブにとって今回の選挙の一厘だと思う。候補者が多様であるように、運動ももっと多様に。ステロタイプにビラ配り、ステロタイプの電話掛け、同じ方法でも大きな運動のハジッコには次を生み出すかすかなものが出てきている。それを大事にしなくちゃな。

かの女子は、はじめて一人で、参加したのかもしれない。
知らない人に「これ配って」と渡され、人ごみは苦手で、だからはずれの方で配っていたのかもしれない。彼女が新宿東口にくるまでの経緯はどんなだろうか。

これが民主主義の種だ。

4/8花祭り。
青い花が咲けばいいのだが。
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選挙もおわってほっと一息ついていたら、ビミョーな電話がかかってきた。
「心の○京革命」の活動家さんからの電話だ。

かなりビミョーだ。
いや、めいっぱいビミョーだ。

どうしてかかってくっかな。
私はこれだけネット上に文章を書き散らしている。それを読めば、その活動家さんたちの役に立たないことは明らかだ。読んでないってことだろうな。

いや、生活者ネットワークが心の○京革命に反対していることはあきらかだ。だいたい青少年健全育成条例にだって反対した。そのおかげで(!)かの宮台真司氏のお覚えめでたく、いい関係がつづいている。心の○京ルネッサンスの人たちには宮台真司氏は天敵だろう。ご存じないのか。

推測するところ、私に電話してきた心の○京革命の活動家さんたちは、自分たちが何をしているのかわかっていない。その行為が社会のなかでどのような文脈におかれているかということがわかっていない。ただ、善意で「あふれるような善意」で子どもたちのために「よかれ」と思って活動しているのだろう。

あちゃ〜である。

さあて、どうすっかなあ。
**************

心の○京革命は子どもを管理する発想だ。
内容についてはこちら
ネットと心の○京革命が一番対立するのは
・子どもにその日のことを話させよう  というものだ。
挨拶だとか、地域のネットワークだとかにつながっこの1行がある時、さほど問題を感じないかもしれない。でも、問題だ。子どもの内心の問題があろう。喋る子ならいいが、喋らない子に喋らせようとすると、修羅場になる。そんなことは過程で調整すればいいというのなら、こんな法則はわざわざ掲げる必要がない。

だいたい、最近の都は、親を信用していない。11時には家にいろという条例は親が一緒でもだめなのだ。都心でちょっと気の聞いた芝居見て、それで帰ってくると、11時過ぎるよ。それがいかんと言うわけだ。親を信用していない。

だから、挨拶せよ、手伝いさせよ、我慢をさせようと親に命令するのだ。
普通、民事不介入でないのか?だいたい、挨拶せいと子どもに強制する前に、朝ゆっくり家族で挨拶しあえるような職住接近の生活を立て直す方が大事でないか?
夜、おやすみなさいといおうにも残業無制限にやってる親にどうやって挨拶するのだ。そういうことを手つかずにして、全部子どものせいにするんでない。そこに腹が立つんだ。不見識以外の何ものでもない。

さらに気持ち悪いのが心の○京革命のマドンナだ。
この人はすごいよ。天性のパフォーマーだ。
彼女の講演会では大の男がさめざめ泣いている。小さなホールで拝聴したときは、ないてないのは私の他に2、3人だった。思考力をうばい、情緒を刺激してコントロールしてしまう人が、子どもの生きる力を育てるとは思えない。だが、自分に自信のない人は、自身が肯定されたかのように錯覚して信奉者になってしまう。
つまり、心の○京革命は、善意で、自分に自信がなく、真っ当な判断が出来ない人たちを回収する仕組みなのではないか?

もちろん、現場で格闘している方もおられて、たとえば、14歳以下は性交をしてはいけないという提案をした人。赤枝恒雄氏の発言はその活動と苦悩の果てに出たもので、真摯に受け止めたいと思う。氏は、夜の町の少女たちをさんざん救ってきて、それでも悪化の一途をたどる状況に絶望したのだ。そういう発言と、自己愛と子どもの問題を「善意」ですり替えているような人物とは違うのだ。

それでもなお、赤枝氏のような人物の活動を支援してこなかった、これまでほっといて、彼の絶望に叫びにただ乗りするような「心の○京革命」になんで乗れようか。
**********************

というわけで、善意で自分がいいことしてると批判能力を失っている人を相手に私はどうしようか。まあ、お茶出して、あちらの言い分を聞いて、それから?
ちょっと、楽しみでもある。
なぜって今<ヒマ>だから。

仕事が一区切りついたので、センタイに復帰する。
今日は夜ペコする。
ペコというのは頭をさげること。朝夕夜で朝ペコは朝7時前後から、夕ペコは6時7時、夜ペコは9時過ぎからだ。今日は9時から10時半まで夜ペコした。

だいたい、こんなんなんになるんだという考えもある。
しかし、駅ペコだけで当選してしまうひとがいるという現実もある。某他市の市議は半年朝ペコして市議選に当選。さらに朝ペコして、二期目は県議にご栄転遊ばしたのだ。一度も駅頭街宣してるのを聞いたことがない。政治をやるくせに、一度も演説せず、ペコのみで当選ってなによ。あれにはあきれた。

だが、それで当選するのなら、やってやろうじゃないの!ってことになるのだ。
やるからにはしっかりやろう。
頭を下げていると、ほんとうに投票してくれよというキモチになってくるから不思議。日本人の政治文化かしら。他党派も駅ペコしているが、全然言霊がない。
「こんにちわ〜。○○で〜す。よろしくお願いしまぁ〜す。」
ティッシュ配りじゃないんだからさ。

駅ペコも一期一会。
目を合わせて頭を下げていると、伝わってくるものがある。

しかし、この繰り返されるペコ。
市民をバカにしてるよなあ。

選挙は祭りだった。
祭り=祀り=政
タケヤブはそれでいいと思っている。議会が解散して、そして新しい議会構成員が選ばれるっていうのは、大げさにいえば、共同体が死んで、再生することなんで、祭り=祀りといって間違いではない。だから、一大イベント大騒ぎして選挙するべきなんだが、投票率が半分以下というのでは、祭りになりゃしない。

今回、フィナーレをどうするかという話になって、ビックリ仰天した。タケヤブがはじめて西東京の選挙に参加した12年前の時はフィナーレは夜の8時。駅頭だった。6時頃から駅前商店街を練り歩き、ご当地の皆さまに挨拶しながら、駅に付き、8時に終わるように駅前集会だった。マイクをつかっていのが8時までだからだ。8年前は、逆に、5時頃駅前で集会し、住宅街へ練り歩き、候補者の近所で6時過ぎに感謝の集会をした。そして、あとの2時間選挙カーは地域をながし、その他運動員は9時過ぎまで最後の電話掛けをしておわったのだ。ところが4年前は1時に駅前集会をしたのみで、フィナーレらしいフィナーレはなしだったという。なんということ。今回も下手をすればそうなりそうな気配。

選挙は祭りではないのだな。すでに。
政治を変えようというものと、市民とが、何ものかを共有できないのはなぜだ?
政治が日常生活の中になくなったのだろう。眺める者は友達とのメールのやりとりや、ドラマ。耳にはイヤホン、手には携帯。そしてインターネットを介して、同じ興味の対象を持つ者だけのコミュニティーに閉鎖的に生息する現代日本人。

共同体に祭りがなくなるのと、
政治に無関心になるのと、
投票率の低下は同じ現象なんだろう。

選挙が祭りでなくて、かつ高い投票率っていうのは、自立した市民が形成された時だろうけども、有史以来そんなことは一度もなかった。民主主義がいい制度だなんていう政治思想は圧倒的に例外であって、ギリシャ以来政治思想は皆、民主主義が一番ましだけども、どうやって機能させるかに悩んできたんだから。

次回の選挙をどう組み立てるか。
これはほんとうに真剣に考えなくちゃならない。
これは生活者ネットだけの課題ではなく、全世界的な課題だけどもね。
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ILLUSTRATION BY nyao