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ここは西東京の地域をいきいきさせるために生活者ネットワークを利用してやろうという個人のブログです。
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エリア会議があった。
幸いにも今日は時間に余裕があって参加できた。
明日は拡大運営委員会があるが、午后なのでちょっと無理だなあ。

エリア会議は地域に議会情報をおろし、逆に地域課題を議会にあげるために収集する場である。地域ではその他に地域フォーラムや議会報告会なども開かれるが、後者ふたつはネットメンバー以外の広い市民を対象にしており、エリア会議はネットメンバーを対象とするわけだ。

タケヤブがこの種の会議に参加できることは少ない。ウイークデイは仕事だし、休みなら寝てるので、なかなか出かけられないのだ。でも、いかないと情報がはいらないこともあって、今日は出かけた。気になっていたのは特別支援教育のこと、それに地域の医療状況の変化だ。今日得た情報では特別支援教育に関してはまだなにも動きがないという情けない状況。また医療に関しては、地域で一番大きなS総合病院が産科から撤退するかもしれないとのこと。とすると、タケヤブ近辺ではH中央病院だけになるな。う〜〜〜〜ン。やはりな。

市長が市庁舎を建てたがっているとのこと。
ダメじゃん。
あのひと以外にそういう発想古くってだめだわ。

さて、今日のエリア会議ではゴミの有料化に終始した感がある。
NTKOでも9月からゴミ収集が有料化される。タケヤブはこれまで漠然とただ有料化か。。。と考えていたのだが、3月会議でGOとなってにわかに具体化してきた。市報でも広報されたらしい(伝聞口調なのは、みてないから。ダメじゃん>タケヤブ)。今日の会議で詳しく聞いた。

たっかいぞぉ!!!!

リッター2円だってさ。
てことは普通45リットルのゴミ袋一枚90円だよ。一週間に4袋はだすから360円かい。すごいね。夫の田舎でも有料化で、スーパーバックでの収集は不可だった。だから指定のゴミ袋に記名しないとだめだったんだけども、それは普通の値段だった。だから有料化といってもその程度だと思っていたのだ。ちょっと違ったな。つまりゴミ袋を買う時点でゴミ収集代が徴集されるわけだ。40リッター30枚入りで2400円!!すごいね。

そうか、これはすごいことだ。
さて、45リットルなんて袋はなくなるそうで、最大40リットルだそうだ。細かく20だの30だのの大きさもあるらしい。一足先に有料化が実施された隣の市では、スーパーのトレイ置き場だの、レジの次の袋詰めする部分のゴミ箱がパンク状態らしい。つまり、家庭で捨てないで、可能な限りスーパーで捨ててくるということだろう。いいことじゃん。税金ではなく企業にコストを負担させるべきだ。

それと同時に戸別収集がはじまる。戸別というのは家一軒一軒ということだ。これもすごいことだよ。タケヤブとしては、ゴミ収集車がちまちま動いたり止まったりすることでの、排ガスの増加や燃費の低下、さらには収集員の身体負担の増加が心配だ。今まで通りポイント収集でいいじゃないかと思うがダメらしい。それはポイント収集では有料化に従わない人のチェックができないということだ。一軒一軒ならちゃんと、有料袋をつかうだろうけども、ポイント収集だと、夜陰に乗じて、スーパー袋や普通の袋でだすかもしれない。出した人が特定できないとこのゴミ制度は破綻するわけで、そのための戸別収集なのだ。

すごいね。

さらにプラスチックリサイクルもはじまる。
これまで不燃物であったもののなかから、プラスチックを分別せよということだ。これもまたすごい。たとえば、お菓子のふくろなどほとんどプラスチックだ。外袋も個装の袋もすべてプラスチックだ。たとえば、タケヤブが今舐めているアメ。王様のマンゴーキャンディーも外袋、個装の袋両方ともプラマークがはいっている。これがすべて資源ゴミになるわけだ。せんべいやビスケットの袋のほか、大抵の袋はプラだ。これが全部リサイクル。不燃物のなかの7割(体積で)はあるというから、埋める場所がなくなりつつある現在、まずリサイクルしなくちゃしかたがないわけだ。

でも、ここで問題。
分別すればいいってもんじゃないのだ。
リサイクルは無駄かもしれない。
↑の文章はその第一人者のもので、要はリサイクルはただ捨てるより環境を汚染するというもの。
(最近、この方の「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」(洋泉社2007)を読みました。おもしろいです。「リサイクルしてはいけない」(青春出版2000)なんてのもあります。2007の方がデータがあたらしくなっているので、読むならそちらを。でも、構造は2000のでもだいじょぶとおもいます。)

要は作らないようにするしかないのだ。
そのためには、ゴミは買わないという方針で、全部スーパーに置いてくるのが一番かもしれない。容器リサイクル法は作った人にコスト負担をさせるという発想でいくしかない。容器は『損をする』というふうにしないと現在の体制はかわらないだろう。

リサイクルしたらそれでいいと言う発想はやめよう。
リサイクルするのに、また石油を使うんだから、それにだいたいリサイクルできていないんだから。だから、根本からリサイクルではなく、リユースできるものにしていかないとダメなんだよ。

さて、いい機会だから、うちの奴等に分別教育を徹底しよう。
そんでもって、この作業が無駄かもしれないと教えよう。
そしたら、ぽいぽいゴミを買ってこなくなるだろう。

NTKOのゴミ有料化について、くわしくはこちら
http://www.city.nishitokyo.lg.jp/topics/kankyou/gomigen/07050702/index.html
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知り合いの娘さんが嬉しいことに政治的自己表現をすると言う。
‥‥‥‥‥‥‥以下引用
23、4歳あたりまで、わたしは選挙に行かない成人だった。なにがどうなっても、わたしの生活が変わるわけではないと思っていた。それはべつに「政治家なんてみんな金のことしか考えてなくて」とか「結局お上が得するようになってんだよ」といった不信感ではない。演説者が声高に繰り返し呼びかける「みなさま」、自分はその数にカウントすらされていない人間だと思っていたからだ。世の中には、侮蔑されたり差別されたり、そして無視されて生きている人間がいる。そして、そんな人間がいることを仕方のないことだと思っている人間がいる。

東京市民でありながら、区議選のお手伝いをすることになった。わたしは、その候補者のことばに賛同し、彼に住みよい街を作ってもらいたいために応援をするのではない。もちろん興味本位もある。ただなによりも、声をあげることの大切さを彼から受け取ったからだ。誰のことなのかわからない、どうせ自分以外の「すべてのみなさま」へ投げかける明るい未来への提案なんて、わたしには必要ない。その候補者もまた、そんなふうに思う理由を知っているのではないかと感じることができた。

ほんとうならば、どんなかたちであれわたしは自分のことばで訴えかけたい。代弁者なんていらない。けれど、わたしにはまだ胸を張ってそれができない。だからわたしはできることをする。最後にあるのが失望でも、わたしもあなたも確かにここに生きているのだと、その証が1という数字になって誰でもいい誰かに届くと信じている。そして、じっと押し黙っているまだ0のあなたからもまた、それをわたしに届けて欲しいと思っている。・・・誰もがもっとやさしく、自由に愛し合える日がくればいい。大人も子供も障害者も老人も病人もゲイも在日外国人もひきこもりも風俗嬢も。
‥‥‥‥‥‥‥引用ここまで

嬉しいじゃないか、ほんとうに嬉しいじゃないか。ちょうどこれを読んだとき、熱で臥せっていたのだが、いやうれしや。ほんとうにうれしかった。
ところが、

‥‥‥‥‥‥‥再び引用
人生初のうぐいすは、後悔の残るものだった。
台本どおりにしかしゃべれず、こんなにも自分がマニュアルどおりの指示待ち人間なのだということを痛感した。のろのろと走り、うっとうしい選挙カーへ投げつけられる窓ガラス越しの罵声、やかましいスピーカー。通りをゆく人々の無関心と好奇の入り混じった一瞥を前に、わたしはひたすら台本を読み上げることで精一杯になった。声を上げるということは、こんな視線を受けるのだということだったのか。それでも、冷たい雨に打たれながら候補者は訴えかけるのをやめない。わたしは、自分の言葉で、なんて、なんて奇麗事を言っていたのだろう。はずかしい。 ・・・所詮三文ライターにすらなれない泡沫ブロガーのわたしが、世間という目にもっともっと打ちのめされて、そこで初めて自分の言葉の意味を知ることができれば。できれば、いったいどうなれるというのだろう。ただただ、はずかしい。
‥‥‥‥‥‥‥引用ここまで

上の文章に比べて下の文章は、改行が少なくなって彼女のどうにもならない苛立ちのようなものが伝わってくる。ふたつの文章を読めばわかるように、彼女は非常に才能のある書き手だ。タケヤブなどとは根本的に違う真性の書き手だと確信している。だがこの才能をもってしてもウグイスと言う作業はむずかしいのだな。そうなんだぁ。タケヤブは認識を新たにした。

タケヤブがこの活動に入ったのは、クサいウグイス原稿をなんとかしろよだった。
まだワープロの時代で原稿は残ってないが再現すると次のようなものだ。
「○○は母です。
こどもたちに安全な食べ物を食べさせたい。
だから学校給食に地場野菜を導入しました。
あなたの声を直接議会にとどけるます
生活者ネットワーク○○です。

 ○○は娘です
住みなれた町で豊かな老後を過ごしてほしい。
だからディサービスをつくりました。
あなたの気持ちを政策で実現します。
生活者ネットワーク○○です。

 ○○は市民です。
政治は生活の道具です。
だから市民の声を政治の中で実現する
代理人という仕組みをつくりました。
生活者ネットワーク○○です。」

「○○は妻です」のバースもあったと思うが思い出せない。連呼はださい。かといって小難しい政策用語もつたわらない。そこで、上のようなものを考えたわけだ。その後タケヤブにウグイス原稿の依頼が来ないとこをみると、このウグイス原稿は評判が悪かったのかもしれない。いいウグイス原稿とは「正しいウグイス原稿」や「カッコイイウグイス原稿」ではなく当選するウグイス原稿なので、当選するウグイス原稿とは「連呼」なのだろうか。結局、このウグイス原稿も、タケヤブのプライドの問題であるようだ。

しかし、それでいいのではないかと思う。皆、連呼ではいやだとおもっている。それで、意志ある人は自分でウグイス原稿をもってくる。主に年長の方だが、自分がその候補者の何を訴えたいのか、その候補者と何をしたいのか、有権者に訴えたいのは何かを語るのだ。「通り過ぎる車の中で聞こえるのは3行くらいかしらとおもって気をつけてはみたんだけど、どう?」と見せられて直すことはまずない。「てにをは」がおかしいところだけ直す。国語を教えている立場が幸いして皆さん受け入れてくださる。普通の文章なんだが、自然に個性が出る。そして連呼ではない。それが立派な政治的表現だと思う。

タケヤブの場合はしゃべるのが商売だ。毎日毎日原稿なしで延々喋っているのだ。だからウグイスも原稿はない。地元ではだいたい最終日の午後6時から8時がタケヤブのウグイスと決まっている。そこで泣いて来いと言うわけだ。恥ずかしい話だが、選挙戦も最終日、とっぷりくれた最後のコマはもう胸が詰まって所々涙をこらえた声になる。タケヤブだとわかって寒いのに家の前に出て待ってくれていたりすると、もうダメだ。うるうるしてしまう。(はず)

車は路地を徹底的にすみずみまで回る。どのうち誰が住んでるのか半分くらいはわかる。このうちの子どもさんはもう大学生かな。ここのお母さんは入院してたけど、どうなったかな、といった具合だ。日頃から町を歩いていると、そうなるわけだが、次の選挙ではもうわからないだろう。子どもたちが地域の学校にいなくなり、タケヤブもまったく町を歩いていないので、それは難しいかなと思う。そうなったらだれかタケヤブではない人が最後のコマで泣いてくれればいいのだが。

で、延々そのエリアの歴史と地域課題を語るのだ。
たとえば
「○○中校区の皆さま。生活者ネットワーク市議候補◎◎です。選挙戦も後残すところ1時間、最後のアピールに参りました。ちょっとだけお聞き頂ければと思います。4年前の選挙で、○○中の改築を公約に掲げたのは◎◎だけでした。そしてこの地域の母親たちの悲願であった改築は実現しました。他にも○○中の改築をしたという候補者がおられるでしょう。しかし、多くの保護者の皆さまと話し合って、建替え協議会を立ち上げ、市民の話し合いのなかから実現してきたのは生活者ネットワークです。また、この地域をはなバスがとおるようになりました。これもワタシが実現したと言う他の候補者がおられるでしょう。しかし、皆さまに署名をいただいて行政にとどけ、議会でも質問し続けたのは生活者ネットワークです。議員の力は権力ではありません。ですから、ルールを無視して何かを実現することは出来ません。だとえ出来たとしてもそれは間違いです。生活者ネットワークは皆さんの声を政策提案の形に変えて、議会活動の中で実現していくものです。みなさん、どちらを選びますか?権力を振るう人と、ルールを守る人と。」といったぐあいに延々語るのだ。

これはもう辻(辻街宣)であるが、ほとんど時速10キロもいかないような低速で走っている車なら、聞く耳を持つ人なら十分聞こえる。(はず)

だもんで、障害者のお子さんをお持ちの家の近辺では障害者政策を、高齢者がおられる家なら高齢者政策を、今まで何をしてきたか、他党派とどう違うか、今度の公約はなにかをアピールする。

さて、地域を知らない時はどうするかだ。
これは困る。NTKOも広いので合併して一緒になった地域はほとんどわからない。だから、生活者ネットワークの政治姿勢を語るしかなく、延々喋る。今回他ネットの応援に行った時は、
「生活者ネットワークは二期8年を原則にしています。ですから議員年金は発生しません。お金のながれはすべて公開しています。選挙や活動はすべてカンパとボランティアによって行われていますから問題の起こりようがないのです。」と説明した。今回は寒くて頭が回らず、ここで終わったが、次には「2期8年でないが出来るという声もあります。しかし、生活者ネットワークの活動は20年以上続けられています。その活動実績が一人一人の議員を支えていますから、2期8年でも仕事ができるのです。議員をローテーションする、特権化しない。これをすでに実現しているのが生活者ネットワークです。」ぐらいは言えると思う。これもNTKOですでに言っていることだから。

しかし、こういうことは喋りなれているものでないとできないかもしれない。ましてや、言葉への自覚がないと結局は善意でありながら政治家の喋りのコピーになってしまう。いままで聞いていたウグイスを知らず知らずのうちに真似てしまうのだ。ひょっとしたらあなたの清き一票をとか口走っているかも。
だから、
どんなに拙くても、自分で、ちゃんと声を出していう。
それだけでいいのではないかと思う。全てはそこから始まる。
小さな一歩だけど偉大な一歩というヤツだ。

ウグイス原稿は事前に下読みする。
意に沿わない時は
それぞれが自分のウグイス原稿をもっていけばいい。

ただそれだけのことだ。
でも、多くの人がそれをせず、役割演技の政治活動に満足しているということだ。
あなたはそのことが非常に悔しかった。自分をふがいなく思った。
だが、そうではない。あなたの素晴しい才能をもってしても「しゃべる」ということは別だった。それだけのことだとタケヤブはあなたに言いたい。
「わたしは、自分の言葉で、なんて、なんて奇麗事を言っていたのだろう。」
ということ自体が綺麗事にならないために、ぜひ、明日明後日、2日間のうちに、もう一度自分の原稿をもってチャレンジしてほしい。
あなたのウグイス原稿を是非見せてください。
支持をお願いできますか?とお訪ねすると
1「よく考えて決めます」という。
あるいはどなたかお支持がおありですか?と聞くと
2「いろいろたのまれてね」という。

これが気に入らない。
1は
そんなによく考えるんかい。と
いいたくないんでしょ。いえばいいじゃん。あんたに入れたくないと。
2は
頼まれた人にいれるんかい!!たのまれたら入れるんかい!
これもいいたくないんだと思う。

政治的態度を表明するのってそんなにイヤなことなんだろうか。

こないだ電話した方が次のようにお話しされた。
以前はネット支持者だったんだが、
「ごめんねぇ。今回も気持ちは支持してんだけどさあ。夫の組合の人がたつのよぉ。義理があるのよ。ごめんねぇ」
こういう風にすっきりいわれれば、こっちも納得する。

どうにも、日本人は自分の政治的態度をいわない。これはイカンよ。
何かテーマがあって話し合う。その話し合いできちんというためには,考えるだろうし。態度を明らかにするって大事だと思う。うん。

保育園や学童クラブの役員をしたときには共産党支持者が多かった。学校の役員にはかならず公明党支持者がいた。でも、それは何かをいっしょにやるのに障害にはならなかった。団体として態度表明する時に、タケヤブは少数意見になる。

たとえば、学童職員の嘱託化に反対するとき、その理由が責任のある保育ができないというものだった。保育のレベルが下がるとかそういう意見もあった。タケヤブはなにがなんでも正規職員(正職)ありきとは考えていない.タケヤブ自身が時間講師というパートだし、そのパートで20年以上つとめてきたわけで、正職ではできない自由な判断というものもあり、嘱託や臨時職員(臨職)パートが正規職員をうまく連携すれば正規職員だけよりもいい仕事ができるのではないかと思っている。またそもそも多様な働きかたがあっていいわけだ。たとえば、十分に経験を積んだ人が事情があって正規職員をおりる。その人が臨時職員、嘱託になる。そして新卒採用の新人正規職員を育てていくということだってあるわけだ。大きな組織では一律の基準も必要だろう。しかし、せいぜい10余の学童クラブの職員について弾力的判断ができないはずはない。嘱託がちゃんと仕事をするための条件整備と、嘱託そのものの是か否かということは別問題で、条件整備を考えないで、最初っから嘱託否定は違うのではないかとおもったのだ。

だから、そのように主張した。議論になる。まあ、多勢に無勢で通らないけども。しかし、主張する、そういう意見もあるってことがその場に示されることが大事なのだ。多数意見も少数意見もお互いに学ぶことはあるはずだ。そして、そのことにより人間関係がまずくなったことはない。公明党支持者のなかにも大好きな人はいる。むしろ、自民党系の人との方が人間関係は難しい。だってわからないからだ。お互いにわかっていれば、そうとわかって関係を作っていける。しかし、わからなければ作っていけない。不意打ちをくらってとまどったりする。

だから、意見を表明しよう。
そういうこと(政治的話題)は話したくはない。ではなく、話し合おう。
そうすることで、イヤな言葉だけど「民度」があがる。市民が賢くなれば、政治も成長せざるをえなくなるのだ。市民をバカにした政治家をおいとかないためにも、しっかり意思表示しよう。

今日の天気を話すように、政治の話題、選挙の話題ができれば、ずっと気持ちがいいと思うが、どうか。
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ILLUSTRATION BY nyao