忍者ブログ
ここは西東京の地域をいきいきさせるために生活者ネットワークを利用してやろうという個人のブログです。
カテゴリー
 ◆ 未選択(1)  ◆ 生活者ネットのこれまで(4)  ◆ 今、わたしに見えているもの(3)  ◆ 市民にできること(3)  ◆ 生活者ネットのこれから(2)  ◆ 政治って(1)  ◆ タケヤブとネット(2)  ◆ お知らせ(2)  ◆ タケヤブの個人的意見(1)
 カレンダー
02 2024/03 04
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
 最新記事
 最新CM
[05/22 チェシャ]
[12/23 キャロ]
[12/22 タケヤブ]
[12/22 タケヤブ]
[12/22 Happy Xmas]
 最新TB
 プロフィール
HN:
タケヤブ
性別:
女性
職業:
主婦です
趣味:
活字中毒者です。あとはおしゃべり。
 フリーエリア
 バーコード
 ブログ内検索
 カウンター
 アクセス解析
[1]  [2]  [3]  [4
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

エリア会議があった。
幸いにも今日は時間に余裕があって参加できた。
明日は拡大運営委員会があるが、午后なのでちょっと無理だなあ。

エリア会議は地域に議会情報をおろし、逆に地域課題を議会にあげるために収集する場である。地域ではその他に地域フォーラムや議会報告会なども開かれるが、後者ふたつはネットメンバー以外の広い市民を対象にしており、エリア会議はネットメンバーを対象とするわけだ。

タケヤブがこの種の会議に参加できることは少ない。ウイークデイは仕事だし、休みなら寝てるので、なかなか出かけられないのだ。でも、いかないと情報がはいらないこともあって、今日は出かけた。気になっていたのは特別支援教育のこと、それに地域の医療状況の変化だ。今日得た情報では特別支援教育に関してはまだなにも動きがないという情けない状況。また医療に関しては、地域で一番大きなS総合病院が産科から撤退するかもしれないとのこと。とすると、タケヤブ近辺ではH中央病院だけになるな。う〜〜〜〜ン。やはりな。

市長が市庁舎を建てたがっているとのこと。
ダメじゃん。
あのひと以外にそういう発想古くってだめだわ。

さて、今日のエリア会議ではゴミの有料化に終始した感がある。
NTKOでも9月からゴミ収集が有料化される。タケヤブはこれまで漠然とただ有料化か。。。と考えていたのだが、3月会議でGOとなってにわかに具体化してきた。市報でも広報されたらしい(伝聞口調なのは、みてないから。ダメじゃん>タケヤブ)。今日の会議で詳しく聞いた。

たっかいぞぉ!!!!

リッター2円だってさ。
てことは普通45リットルのゴミ袋一枚90円だよ。一週間に4袋はだすから360円かい。すごいね。夫の田舎でも有料化で、スーパーバックでの収集は不可だった。だから指定のゴミ袋に記名しないとだめだったんだけども、それは普通の値段だった。だから有料化といってもその程度だと思っていたのだ。ちょっと違ったな。つまりゴミ袋を買う時点でゴミ収集代が徴集されるわけだ。40リッター30枚入りで2400円!!すごいね。

そうか、これはすごいことだ。
さて、45リットルなんて袋はなくなるそうで、最大40リットルだそうだ。細かく20だの30だのの大きさもあるらしい。一足先に有料化が実施された隣の市では、スーパーのトレイ置き場だの、レジの次の袋詰めする部分のゴミ箱がパンク状態らしい。つまり、家庭で捨てないで、可能な限りスーパーで捨ててくるということだろう。いいことじゃん。税金ではなく企業にコストを負担させるべきだ。

それと同時に戸別収集がはじまる。戸別というのは家一軒一軒ということだ。これもすごいことだよ。タケヤブとしては、ゴミ収集車がちまちま動いたり止まったりすることでの、排ガスの増加や燃費の低下、さらには収集員の身体負担の増加が心配だ。今まで通りポイント収集でいいじゃないかと思うがダメらしい。それはポイント収集では有料化に従わない人のチェックができないということだ。一軒一軒ならちゃんと、有料袋をつかうだろうけども、ポイント収集だと、夜陰に乗じて、スーパー袋や普通の袋でだすかもしれない。出した人が特定できないとこのゴミ制度は破綻するわけで、そのための戸別収集なのだ。

すごいね。

さらにプラスチックリサイクルもはじまる。
これまで不燃物であったもののなかから、プラスチックを分別せよということだ。これもまたすごい。たとえば、お菓子のふくろなどほとんどプラスチックだ。外袋も個装の袋もすべてプラスチックだ。たとえば、タケヤブが今舐めているアメ。王様のマンゴーキャンディーも外袋、個装の袋両方ともプラマークがはいっている。これがすべて資源ゴミになるわけだ。せんべいやビスケットの袋のほか、大抵の袋はプラだ。これが全部リサイクル。不燃物のなかの7割(体積で)はあるというから、埋める場所がなくなりつつある現在、まずリサイクルしなくちゃしかたがないわけだ。

でも、ここで問題。
分別すればいいってもんじゃないのだ。
リサイクルは無駄かもしれない。
↑の文章はその第一人者のもので、要はリサイクルはただ捨てるより環境を汚染するというもの。
(最近、この方の「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」(洋泉社2007)を読みました。おもしろいです。「リサイクルしてはいけない」(青春出版2000)なんてのもあります。2007の方がデータがあたらしくなっているので、読むならそちらを。でも、構造は2000のでもだいじょぶとおもいます。)

要は作らないようにするしかないのだ。
そのためには、ゴミは買わないという方針で、全部スーパーに置いてくるのが一番かもしれない。容器リサイクル法は作った人にコスト負担をさせるという発想でいくしかない。容器は『損をする』というふうにしないと現在の体制はかわらないだろう。

リサイクルしたらそれでいいと言う発想はやめよう。
リサイクルするのに、また石油を使うんだから、それにだいたいリサイクルできていないんだから。だから、根本からリサイクルではなく、リユースできるものにしていかないとダメなんだよ。

さて、いい機会だから、うちの奴等に分別教育を徹底しよう。
そんでもって、この作業が無駄かもしれないと教えよう。
そしたら、ぽいぽいゴミを買ってこなくなるだろう。

NTKOのゴミ有料化について、くわしくはこちら
http://www.city.nishitokyo.lg.jp/topics/kankyou/gomigen/07050702/index.html
PR
知り合いの娘さんが嬉しいことに政治的自己表現をすると言う。
‥‥‥‥‥‥‥以下引用
23、4歳あたりまで、わたしは選挙に行かない成人だった。なにがどうなっても、わたしの生活が変わるわけではないと思っていた。それはべつに「政治家なんてみんな金のことしか考えてなくて」とか「結局お上が得するようになってんだよ」といった不信感ではない。演説者が声高に繰り返し呼びかける「みなさま」、自分はその数にカウントすらされていない人間だと思っていたからだ。世の中には、侮蔑されたり差別されたり、そして無視されて生きている人間がいる。そして、そんな人間がいることを仕方のないことだと思っている人間がいる。

東京市民でありながら、区議選のお手伝いをすることになった。わたしは、その候補者のことばに賛同し、彼に住みよい街を作ってもらいたいために応援をするのではない。もちろん興味本位もある。ただなによりも、声をあげることの大切さを彼から受け取ったからだ。誰のことなのかわからない、どうせ自分以外の「すべてのみなさま」へ投げかける明るい未来への提案なんて、わたしには必要ない。その候補者もまた、そんなふうに思う理由を知っているのではないかと感じることができた。

ほんとうならば、どんなかたちであれわたしは自分のことばで訴えかけたい。代弁者なんていらない。けれど、わたしにはまだ胸を張ってそれができない。だからわたしはできることをする。最後にあるのが失望でも、わたしもあなたも確かにここに生きているのだと、その証が1という数字になって誰でもいい誰かに届くと信じている。そして、じっと押し黙っているまだ0のあなたからもまた、それをわたしに届けて欲しいと思っている。・・・誰もがもっとやさしく、自由に愛し合える日がくればいい。大人も子供も障害者も老人も病人もゲイも在日外国人もひきこもりも風俗嬢も。
‥‥‥‥‥‥‥引用ここまで

嬉しいじゃないか、ほんとうに嬉しいじゃないか。ちょうどこれを読んだとき、熱で臥せっていたのだが、いやうれしや。ほんとうにうれしかった。
ところが、

‥‥‥‥‥‥‥再び引用
人生初のうぐいすは、後悔の残るものだった。
台本どおりにしかしゃべれず、こんなにも自分がマニュアルどおりの指示待ち人間なのだということを痛感した。のろのろと走り、うっとうしい選挙カーへ投げつけられる窓ガラス越しの罵声、やかましいスピーカー。通りをゆく人々の無関心と好奇の入り混じった一瞥を前に、わたしはひたすら台本を読み上げることで精一杯になった。声を上げるということは、こんな視線を受けるのだということだったのか。それでも、冷たい雨に打たれながら候補者は訴えかけるのをやめない。わたしは、自分の言葉で、なんて、なんて奇麗事を言っていたのだろう。はずかしい。 ・・・所詮三文ライターにすらなれない泡沫ブロガーのわたしが、世間という目にもっともっと打ちのめされて、そこで初めて自分の言葉の意味を知ることができれば。できれば、いったいどうなれるというのだろう。ただただ、はずかしい。
‥‥‥‥‥‥‥引用ここまで

上の文章に比べて下の文章は、改行が少なくなって彼女のどうにもならない苛立ちのようなものが伝わってくる。ふたつの文章を読めばわかるように、彼女は非常に才能のある書き手だ。タケヤブなどとは根本的に違う真性の書き手だと確信している。だがこの才能をもってしてもウグイスと言う作業はむずかしいのだな。そうなんだぁ。タケヤブは認識を新たにした。

タケヤブがこの活動に入ったのは、クサいウグイス原稿をなんとかしろよだった。
まだワープロの時代で原稿は残ってないが再現すると次のようなものだ。
「○○は母です。
こどもたちに安全な食べ物を食べさせたい。
だから学校給食に地場野菜を導入しました。
あなたの声を直接議会にとどけるます
生活者ネットワーク○○です。

 ○○は娘です
住みなれた町で豊かな老後を過ごしてほしい。
だからディサービスをつくりました。
あなたの気持ちを政策で実現します。
生活者ネットワーク○○です。

 ○○は市民です。
政治は生活の道具です。
だから市民の声を政治の中で実現する
代理人という仕組みをつくりました。
生活者ネットワーク○○です。」

「○○は妻です」のバースもあったと思うが思い出せない。連呼はださい。かといって小難しい政策用語もつたわらない。そこで、上のようなものを考えたわけだ。その後タケヤブにウグイス原稿の依頼が来ないとこをみると、このウグイス原稿は評判が悪かったのかもしれない。いいウグイス原稿とは「正しいウグイス原稿」や「カッコイイウグイス原稿」ではなく当選するウグイス原稿なので、当選するウグイス原稿とは「連呼」なのだろうか。結局、このウグイス原稿も、タケヤブのプライドの問題であるようだ。

しかし、それでいいのではないかと思う。皆、連呼ではいやだとおもっている。それで、意志ある人は自分でウグイス原稿をもってくる。主に年長の方だが、自分がその候補者の何を訴えたいのか、その候補者と何をしたいのか、有権者に訴えたいのは何かを語るのだ。「通り過ぎる車の中で聞こえるのは3行くらいかしらとおもって気をつけてはみたんだけど、どう?」と見せられて直すことはまずない。「てにをは」がおかしいところだけ直す。国語を教えている立場が幸いして皆さん受け入れてくださる。普通の文章なんだが、自然に個性が出る。そして連呼ではない。それが立派な政治的表現だと思う。

タケヤブの場合はしゃべるのが商売だ。毎日毎日原稿なしで延々喋っているのだ。だからウグイスも原稿はない。地元ではだいたい最終日の午後6時から8時がタケヤブのウグイスと決まっている。そこで泣いて来いと言うわけだ。恥ずかしい話だが、選挙戦も最終日、とっぷりくれた最後のコマはもう胸が詰まって所々涙をこらえた声になる。タケヤブだとわかって寒いのに家の前に出て待ってくれていたりすると、もうダメだ。うるうるしてしまう。(はず)

車は路地を徹底的にすみずみまで回る。どのうち誰が住んでるのか半分くらいはわかる。このうちの子どもさんはもう大学生かな。ここのお母さんは入院してたけど、どうなったかな、といった具合だ。日頃から町を歩いていると、そうなるわけだが、次の選挙ではもうわからないだろう。子どもたちが地域の学校にいなくなり、タケヤブもまったく町を歩いていないので、それは難しいかなと思う。そうなったらだれかタケヤブではない人が最後のコマで泣いてくれればいいのだが。

で、延々そのエリアの歴史と地域課題を語るのだ。
たとえば
「○○中校区の皆さま。生活者ネットワーク市議候補◎◎です。選挙戦も後残すところ1時間、最後のアピールに参りました。ちょっとだけお聞き頂ければと思います。4年前の選挙で、○○中の改築を公約に掲げたのは◎◎だけでした。そしてこの地域の母親たちの悲願であった改築は実現しました。他にも○○中の改築をしたという候補者がおられるでしょう。しかし、多くの保護者の皆さまと話し合って、建替え協議会を立ち上げ、市民の話し合いのなかから実現してきたのは生活者ネットワークです。また、この地域をはなバスがとおるようになりました。これもワタシが実現したと言う他の候補者がおられるでしょう。しかし、皆さまに署名をいただいて行政にとどけ、議会でも質問し続けたのは生活者ネットワークです。議員の力は権力ではありません。ですから、ルールを無視して何かを実現することは出来ません。だとえ出来たとしてもそれは間違いです。生活者ネットワークは皆さんの声を政策提案の形に変えて、議会活動の中で実現していくものです。みなさん、どちらを選びますか?権力を振るう人と、ルールを守る人と。」といったぐあいに延々語るのだ。

これはもう辻(辻街宣)であるが、ほとんど時速10キロもいかないような低速で走っている車なら、聞く耳を持つ人なら十分聞こえる。(はず)

だもんで、障害者のお子さんをお持ちの家の近辺では障害者政策を、高齢者がおられる家なら高齢者政策を、今まで何をしてきたか、他党派とどう違うか、今度の公約はなにかをアピールする。

さて、地域を知らない時はどうするかだ。
これは困る。NTKOも広いので合併して一緒になった地域はほとんどわからない。だから、生活者ネットワークの政治姿勢を語るしかなく、延々喋る。今回他ネットの応援に行った時は、
「生活者ネットワークは二期8年を原則にしています。ですから議員年金は発生しません。お金のながれはすべて公開しています。選挙や活動はすべてカンパとボランティアによって行われていますから問題の起こりようがないのです。」と説明した。今回は寒くて頭が回らず、ここで終わったが、次には「2期8年でないが出来るという声もあります。しかし、生活者ネットワークの活動は20年以上続けられています。その活動実績が一人一人の議員を支えていますから、2期8年でも仕事ができるのです。議員をローテーションする、特権化しない。これをすでに実現しているのが生活者ネットワークです。」ぐらいは言えると思う。これもNTKOですでに言っていることだから。

しかし、こういうことは喋りなれているものでないとできないかもしれない。ましてや、言葉への自覚がないと結局は善意でありながら政治家の喋りのコピーになってしまう。いままで聞いていたウグイスを知らず知らずのうちに真似てしまうのだ。ひょっとしたらあなたの清き一票をとか口走っているかも。
だから、
どんなに拙くても、自分で、ちゃんと声を出していう。
それだけでいいのではないかと思う。全てはそこから始まる。
小さな一歩だけど偉大な一歩というヤツだ。

ウグイス原稿は事前に下読みする。
意に沿わない時は
それぞれが自分のウグイス原稿をもっていけばいい。

ただそれだけのことだ。
でも、多くの人がそれをせず、役割演技の政治活動に満足しているということだ。
あなたはそのことが非常に悔しかった。自分をふがいなく思った。
だが、そうではない。あなたの素晴しい才能をもってしても「しゃべる」ということは別だった。それだけのことだとタケヤブはあなたに言いたい。
「わたしは、自分の言葉で、なんて、なんて奇麗事を言っていたのだろう。」
ということ自体が綺麗事にならないために、ぜひ、明日明後日、2日間のうちに、もう一度自分の原稿をもってチャレンジしてほしい。
あなたのウグイス原稿を是非見せてください。
国民投票法案に関する記事を本館に書きました。
ご一読ください。
竹薮みさえの「ざ。問題主婦」
今回の都知事選は泡沫候補がいっぱい出てる。
とくにタケヤブの一押しがこの人。
You Tubeで見られる政見放送です
http://www.youtube.com/watch?v=0B-f7l6BKCI
(すぐ削除されるみたいなので、リンクが切れてたら検索してみてください。)

この人の特筆すべきところは、↑の政見放送をご覧いただければわかるんだけども、
「諸君(有権者)を軽蔑している」だの「投票なんか無意味だ」
さらには「政府を転覆せよ」だの、それでいて選挙に出るのは全く自己矛盾。

これほどひどくないにしても、他の泡沫候補はどうなんだろうと、可能な日は、夜11時からのNHKの政見放送をみてみた。

まあ、すごい。英語で政見放送するひとだの、自分の裁判闘争を得々と語る人だの、まあともかく独りよがりの演説ばかり。東京都なんの関係があるの?ですよ。でも、そういう人も立候補していい。そこがポイント。何があってもいい、合法である限り、非常識でもいい。それが民主主義だ。

考えてみれば、NHKの職員は、石原だろうが、非常識な人だろうが、おなじように説明し、同じようにお茶を出して、同じようにスタジオに招き入れ、同じようにカメラを向け、同じように番組を作成するのだ。その膨大な無駄、非能率が民主主義だ。当人も300万(だっけ?供託金)はらってアピール権を得るわけだ。それを許す寛容。わがニッポンの民主主義万歳。皮肉ではない、これが民主主義の成熟ということであり、私たちはそのあまりの非能率、バカバカしさに耐えなければならないのだ。

選挙の開票においても、かの同盟国のように不透明なことはない。結果は明瞭、その日のうちに完璧に明らかになる。それでよし。

さて、今日4/7。タケヤブは夕方吉祥寺にいた。四時過ぎに浅野氏が駅北口に到着し、集会がはじまった。偶然だが、とどまって見届けることにする。見渡すと、やはり年齢層は高い.のぼりは「団塊ネット」、「連合」そして勝手連の青い旗、政党の旗は見えない。公選法のせいなのか、どうなのか。菅直人、浅野史郎、保坂展人がスピーチをする。司会は蓮舫。本人は「政治をあきらめない」と繰り返していた。投票するときに「さらっと書く」のではなく「しっかり書く」「しっかり気持ちをこめて書くと2票になるわけではない」でも「その気持ちが大事」とのこと。こういう可愛らしい精神論が似合うね。

集会に集まった人たちにとっては「石原NO」は大前提であるから、石原の別の意味での精神主義を批判して、そうじゃないんだという組み立てになる。福祉をしないとは石原もいってない。その他に明確な争点があるわけではないので、結局は政治姿勢の対照になる。

冷戦終結後、政治も経済も停滞期にはいってしまうと、壮大なビジョンは描けない。結局は強いリーダーシップのトップダウンか、市民に支えられたボトムアップかのどちらかだ。前者は有能な人がなった場合、効率がいい。しかし、一人の能力に支えられた政治は危険だ。後者はその逆。タケヤブは基本的に後者を選択する。たとえ効率は悪く、間違いがあろうが、そのすべてが共有されていることが大事だと思うからだ。強いリーダーは小集団ではよい。優秀なリーダーであれば、集団の全体、あるいは一人一人を感じることが出来るし、メンバーも人間関係に基づいてリーダーとのコミュニケーションが可能だからだ。しかし、大集団になると、強力なリーダーにとっては、大多数は操るべきコマになってしまう。それはダメだ。

本人は中央線を東進。新宿方向へ.中野で集会後、新宿でフィナーレとのこと。タケヤブも新宿に行く予定。そこでの様子もみられるかも。

吉祥寺での予定をすませて、新宿へ。7時過ぎ。東口アルタ前は土曜の夜でもあり、人でいっぱい。その向こうに選挙カーの上にたつ。本人ほか。でも、吉祥寺のように求心的な感じはない。漠然と人がいる感じ。多くの人がビラ撒きをしている。その人たちにはある種の傾向がある。

人ごみを抜けて大ガードの方に向かう。
群衆の端でビラをまく女子(大学生だと思う)彼女は明らかなに「ある種の傾向」から外れていた。

生真面目な態度。明らかに疲れていて。
「ミンナノチカラデ、トチジヲカエマショウ・・・」
差し出される青いビラ。

彼女と話してみたいと思った。
(アナタハ ドウシテ コノウンドウニ クワワッテイルノデスカ)

そういえば、金曜の夜10時過ぎ、通勤路の乗換駅で、降りてくる人たちに向かって青年が二人、共産党候補応援と思われる(候補者名を言ってはいけないらしい)の呼びかけをしていた。肉声で、改札まえの道路にたって棄権しないように、ほんとうに僕ら若者の未来を守ろうとしてくれている人に投票したいというような呼びかけをしていた。ああ民青か、というふうにタケヤブは思わなかった。彼らの声を背中に聞いて改札を入りながら、階段を上がる前に振り返ってもう一度彼らをながめた。

「お訴えをさせていただく」だの「今一歩の広がりをお願いする」だのいうステロタイプなものでない表現がそこにあった。普通共産党の運動員は原稿を読む。辻にたってハンドマイクで出来合いの原稿を読むのだ。かれらはそうではなかった。

自分の肉声で届く範囲の人に直接はなしかければいい。

浅野支援の女子と吉田支援の男子の姿が、タケヤブにとって今回の選挙の一厘だと思う。候補者が多様であるように、運動ももっと多様に。ステロタイプにビラ配り、ステロタイプの電話掛け、同じ方法でも大きな運動のハジッコには次を生み出すかすかなものが出てきている。それを大事にしなくちゃな。

かの女子は、はじめて一人で、参加したのかもしれない。
知らない人に「これ配って」と渡され、人ごみは苦手で、だからはずれの方で配っていたのかもしれない。彼女が新宿東口にくるまでの経緯はどんなだろうか。

これが民主主義の種だ。

4/8花祭り。
青い花が咲けばいいのだが。
明日、都知事選が告示になる。メールその他が来て、浅野氏の本番ポスターをはらないかとのこと。ウチの近所の7カ所くらいだから、貼るかと腰をあげた。これは民主党経由の依頼だとおもわれる。タケヤブ個人はここんとこずっと民主党に投票しているが、ネットメンバーとして民主党との選挙協力というのは、全く腑に落ちていない。
だから今日のこの記事は、まったくタケヤブの個人的見解
市議選では民主党とは敵同士だ。都議選では独自候補者をだせば敵になる。NTKOでは独自候補者を出してないので、政策協定を結んで民主党を支援している。都知事選や、国政選挙でもだいたい同様だ。だが、そのことでNTKOにどれだけいいことがあったか?そこが疑問だ。

市議会で民主党と協力してなにかが出来たとか、そんなことはタケヤブの記憶にはない。NTKO市長選挙では無所属だが、民主党都議だった現市長を担いでたたかった。で、当選後、民主党が市長を支えているかと言うと全く怪しいものだ。そして野党からは与党与党と責められて、党の傘の下にいる民主党議員よりもネットの議員の方がずっと大変だ。NTKO生活者ネットワークとしては民主党と協力する意味なんかまったくないのだ。持ち出しばっかでいいことはなんかない。だから、選挙に関しては明確な支持、推薦などの打ち出しをせず、公開討論会の仕掛けや、インターネット上での活動や、選挙そのものを盛り上げる活動など、広い意味の選挙活動をする。あるいは、選挙そのものを寝てしまう(活動しないってこと)てのも、一つの方法で、さらに民主党へのプレッシャーになるんじゃないかと思ったりする。ネットは地域政党である。だから徹底して地域に禁欲するってのも一つの方法ではないかと思うのだ。

とはいえ、明日は浅野史郎氏のポスターを貼る。 反石原の意思表示として一番有効なのが浅野票だと考えるからだ。

それにしても、あれやこれや、いろいろ候補者がでて、それは石原有利にちがいない。それも民主党の力量不足以外の何ものでもない。選挙があるのはわかってんだから一年くらいかけて、しっかり候補者を用意せんかい。そして他の候補者を出さないように段取りしないことには石原はおろせない。まったくだらしないったらありゃしない。

国政だって、野党だからいれてるけど、与党になったらそれこそ、タケヤブはねるぞ。わかってんのか、民主党。すくなくとも都議選では入れないからね。そのくらいしないと腹の虫がおさまらないさ。

よんでるか?民主党関係者。
これはタケヤブの個人的意見ですから。そこんとこ間違えないように。
忍者ブログ [PR]

ILLUSTRATION BY nyao