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ここは西東京の地域をいきいきさせるために生活者ネットワークを利用してやろうという個人のブログです。
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さて、坪井照子は、生活クラブの活動家で、ゴミを自分の問題として精力的に調査し、そして政治の世界にはいっていった。この過程は初期のネット運動に典型的に見られるパターンだな。その後に続く議員達は、坪井照子のつくった頂点からひろがるもっと拡大した所に位置すると思う。その拡大した場所にいくつものワーカーズコレクティブやNPOがある。

西東京市の生活クラブ運動体は、日本の中でも優等生,先進的なところなのね。

ワーカーズコレクティブという企業形態がある。
ワーカーズとかワーコレとかいう。
『誰かに雇われるのではなく働く者自身が出資し合い,それぞれが事業主のひとり
として対等に働く共同体』のことだ。働く人と雇う人お金を出す人が一致しているわけだ。

イメージ的には皆でお金を出し合って話し合いながら商売してるって感じね。

20世紀の企業形態といえば、株式会社。これは所有と経営の分離が身上。
所有者は株主、経営は社長とか重役とか。だから株が経営者の予想しない相手に渡ると大問題になる。このシステムは一株でも株主になれるから、社会の中の遊休資本(タンス貯金とか小額預金とか)を集めるにはいい方法で、企業規模をどんどん大きくできるよね。でも、大企業なら、なんでもいいってわけじゃない。地域には地域にあった企業形態があって、あるいは小さな集団だからこそできることがあって、そんな場合には株式会社はむかない。そこでワーカーズとかNPOが登場するわけだ。

西東京にはワーカーズコレクティブがいくつかある。パン屋さん、配食サービスが二つ、家事援助が二つ。移送サービスがひとつ。NPOはもっともっとあって、中にはNPOを援助するNPOもある。

働くものと出資者がおなじということは、働きやすい環境をつくる。働くことをいつも自分のものにしておくことができる。そういう働き方も実践可能だということだ。フルタイムでばりばり働くことも選べる、自分の生活に沿う形で少しだけはたらくということも選べる。その中間にもさまざまな段階がある。パートか正雇用かだけではないのだ。

そのような団体は、地域政治と非常に近いところにいる。地域の暮らしに必要なサービスを提供するためには、仕事と政治はリンクせざるをえないのだ。

こうやって政治活動は拡大してきた。

今、私の母は要介護1で介護保険サービスをつかっている。デイサービスと家事援助を週に1度づつ利用している。「子育て介護は社会の仕事」これは生活者ネットワークのスローガンだった。我が家は同居家族がいながら、家事援助を利用するのに、ためらいがない。デイも家事援助も活動の仲間によって支えられている。母にとっても、双方とも娘の知り合いのところなので、比較的抵抗なく馴染んでいる。
我が家は運動の成果をフルに享受していると思う。

姑も同じように要介護1だが、援助者に気兼ねしぃしぃ使っているのとは大きな違いだ。自分たちの作った仕組みは使い勝手がいい。お仕着せとは違うのだ。
こういう仕組みがあるところで、仕組みづくりに加わってよかったと思うことである。
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夜に続きませんでした。ははは。

さて。
消費者/生産者と生活者についてちょっと追加(もっと!というメッセージがあったので)
消費者対策とか生産者対策とかではなぜいけないのかというと、タダっていうのは誰も儲からないってことですよ。不経済ならコストを下げることで、経済ならさらに高くうれれば儲かる。でもタダってのは、それ以上いじりようがない。だってタダなんだから絶対値上げはできないし、タダだからそれ以上にだれもお金を出さない。つまり,問題はないんだよね。ないところを問題化していく。それが「生活者」ということばなんですよ。

で、グループ生活者はおかねにならないことを真面目にやった。
自分の家のゴミポイントに出されるゴミの中にどのくらいリサイクル可能なもの(有価物)があるかを長期にわたって調査。それをゴミにするのと資源化することでどれくらい環境にとって価値があるかゴミ処理コストを節約できるかなどをデータでしめしたのだ。しかし,行政は動かない。そこで自前の議員をもとうと選挙にでたのだ。一人目の議員「坪井照子」だ。

この調査力はすごいことだと思う。一石二鳥も三鳥もある。
★データをとれる。
☆調べる本人の動機が高まる。
★仲間作りができる。

これだけしっかり調査していれば、選挙なんてちょろいだろうな。

坪井さんは神話化している。
ネットの議員って美大出身者というジャンルがあるんだが、坪井さんもそのひとりだ。スマートで、いわゆる断髪でおしゃれだ。小柄だけど、そこにいるとなにやら色が変る、そんな感じの人だ。ゴミの坪井ということで全国に名をはせ、現在はなんと弁護士なしの本人訴訟を闘っている。70を過ぎて今なお盛んである。

生活クラブがいまのようにシステマティクでなかったころ、商品をひとつひとつ増やしていく過程で、職員と同様に担ってきた人だ。ウィンナの初の取り組みのとき、西瓜の取り組みのときの思い出話は、今のひとには考えられない事態だが、一軒一軒配達して歩いたのだ。職員ではなく、組合員が。その経験が政治運動に活かされていると思う。

私が選対長のとき、夜おそくに帰る坪井さんにありがとうございますと挨拶したら。
「わかった?私たちの選挙に能率なんてないのよ。一票一票摘み取っていくのよ」
と仰った。私を見上げながらにっこりわらった。忘れられない1シーンだ。


坪井照子は2期目当選後、市長選にチャレンジ、敗退。鈴木美紀が受け継ぐ。その後、茂木千佳子、金見芳子と議員3名とふやしていくのだ。

この間、社会福祉法人「悠遊」ができたり、ワーカーズコレクティブがいくつもできたり、運動は地域の中で着々と形になっていくのだ。

さて仕事に行きます。
続きは今夜か明日。
各地域ネットのなかでも筋金入りに古いところだ。

生活者ネットワークというのができるまえに、グループ生活者というのがあって、その時代からの活動である。

かつては西東京ネットのホームページにその間の経緯が乗っかってたが、今見たらない。おろしたのか?またあげといてね。ああいうことがすぐ読めるってのは大事よほんとに。

だもんでこれから書くことは私の記憶に頼っているので、細かいところはあやふや。でもアウトラインは間違いないです。

さて、そのグループ生活者だけども。

この『生活者』というのは「消費者」や「生産者」に対して「生活者」なんですよ。消費者というのはものを買ってお金払う人です。生産者はその逆で貰う人ですね。だからここはデータに残るわけで、利潤も発生するから問題になる。でも、生活者はそうではない。タダの部分なわけで。

ゴミとか子育て介護とかの部分は、生産者でも消費者でもなく「生活者」の部分にはいる。だから政治や経済では目にはいらないというか問題にならなかった。もうかんないからね。いわゆる「外部不経済」「外部経済」というヤツです。まあ簡単にいえば帳簿にのらない。空気はいくら汚してもタダ(外部不経済)地下水はくみ上げ放題(外部経済)なわけで。

経済成長の限界が見えてくると、外部の問題をほおってはいられなくなる。
これまで省みられなかった領域に登場する主体が「生活者」なわけですよ。
普通、生活者っていうと、当たり前の人、常識をもった市民って感じで使われてるけどもね、それだけじゃない。すっごく重要な文脈なわけですよ。

だから生活者ネットがゴミや子育て介護を政治課題としてやるってのは、女だからなんてのは、ものをわかってない人のいうことでね。今いった文脈でいえば、生活者ってのは20世紀後半21世紀の人間の代名詞であってさ、それを、賃労働にからめとられていない主婦がやってるわけですよ。

女のやることだとバカにするんでないよ。

どうも話が横道にそれますね。
というのもさ、いわゆる各生活者ネットのサイトに書いてないこと書こうとおもってるからさ。

またまたここでちょっと休憩。
昼休みにちょっと帰って来てちょこちょことかいてアップ。
また夜に続きます。
このブログをはじめるにあたって
タケヤブとネットの出会いについて、まず明らかにしておこうと思う。

わたしは1954年うまれ。大学入学は73年だ。
不発(?)に終わった70年安保の後とはいえ、教授の中には80年には君達もたちあがれ、俺もやるという人もいた。全共闘運動的なムードはまだ続いており、ジクザクデモにフランスデモ、バリケード封鎖やレポート試験も経験している。しかし、全共闘世代とは一線を画していた。

たとえば、あの「われわれはぁ〜」という演説口調にうんざりしていたからだ。
活動する学生と一般学生の間にたって、そのことばじゃだめだ。通じない。。といつも考えていた。

当時いわれていたことが、「闘いを生活の場にひきずりおろす」ということだった。なんらかの政治課題にむけて巻き込んでいく、動員型の政治運動への見切りがあったのだと思う。だいたい、こ難しいことを超難しいことばでハンドマイクでアジってたって、誰が聞くかって。そんなもん自己満足でしょうに。私はそう思っていた。みんなそう思っていたと思う。

この考えかたの歴史は古い。

生協運動や、産直運動はこの考え方からきている。
生活者ネットワークの母胎となった生活クラブ生協も60年安保の敗北から社会党系の活動家が立ち上げたものだ。

活動を生活そのものの中に求めていくこと。これはまったくダタしいと思う。
民主主義とはそういうことだろう。
例えば、自衛隊の海外派兵反対という政治課題があったとして、(その内容には全く賛成だが)それを国家に訴えていくという活動は、市民にとっては非日常であろう。非日常である限り、それはお祭りであり、一夜の花火で終わってしまうのだ。そういう活動も非常に大事だ。しかし、その活動が実を結ぶためには、日常によって支えられていなければならないと思う。

市民の暮らしの中に根付いていなければ。広汎な運動にはならない。広汎にならなければ、成果はあげられない。

60年安保があれだけの広がりをもったにもかかわらず、条約は継続された。まだまだ、あの程度の広がりではだめだったということだ。一方で、あれほどの運動はその後展開されていないにもかかわらず、変化していることもある。たとえば、ゴミの分別収集、リサイクル活動、石鹸運動など。これらは市民がみずから自分たちの不自由をうけいれることで活動してきたことが、広がってきたものだ。また登校拒否がひろく理解されるようになって、不登校と変化してきたこと。これらは、まさに生活課題なのだ。

生活の中にある問題を発見して、それを担っていくことで市民は成長する。またそれが日々直面する問題だからこそ、活動は日常の中でおこなわれ、人々の生活形態を変える。そして人や組織のあらたなネットワークを作っていくのだ。

というわけで、大学の中でいろいろの活動した結果、わたしは大学院に進学し地域共同体の問題について研究することにした。学部時代くる日もくる日も一緒にむれていた仲間達は、見事なほど一般企業に就職せず、自営の塾をつくったり、放浪にでたり、職能組合の専従職員になったりした。そのうちの一人が生活クラブに就職したの当然と言えようか。

彼との縁で、私は生活クラブにはいる。
1987年だ。生活クラブにはもれなくネットがついてくる時代だった。そのころ統一地方選もあり、マドンナ旋風が巻き起こった参議院選もあった。わたしは共同購入班の若い母親達と一緒にせっせとバザーをやって、パウンドケーキを焼いていた。大きなボールを各自あるだけならべてハンドミキサーを両手にもってパウンドを一日20台くらい焼いたことがある。楽しい活動だった。だいたいが私にとっては女どうしで政治活動するということがはじめてだったのだ。

「政治を生活の道具に」というスローガンに反対する理由はまったくなかった。

まずはここまで。
最初っから昔話の連載で、どうよ。という声もあろうかと思いますが、とりあえず始めます。よろしく。



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ILLUSTRATION BY nyao