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ここは西東京の地域をいきいきさせるために生活者ネットワークを利用してやろうという個人のブログです。
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今日、電話掛けをしていて、支持者の男性と話し合った。

これまで生活者ネットワークを支持していた。
しかし、失望した。中学校給食の実現を公約にしたから。
それはバラマキではないか。給食費の不払いをどう考えるのか。

ネット支持者のなかに、給食反対派は結構いる。親が作るべきだと考えるからだ。
しかし、現実にはそれは少数派だ。働く母親が多くなり、食事の内容が貧困になり、子ども達の食が貧しくなっていることも、また現実だ。したがって給食の提供は必要なことなのだ。理想と現実。その狭間でやはり、給食実現を取り上げざるをえなかった。

親のニーズに応えて、給食を決断したのではなく、子どもの必要性を考えてのことだ。それがたまたま選挙と重なれば、バラマキに見える。厳しいよなあ。選挙のなかで、敵対党派があるから、公約の中の優先順位があがったぐらいのことはあると思う。正直言ってね。

だいたい、給食に地場野菜を導入をしようと,一軒一軒農家をくどいたのは茂木千佳子(3人目の代理人)だ。その努力が実り、給食に地場野菜が導入され、全ての小学校に学校菜園がある。給食の安全基準作りにも努力した。O157のような細菌類だけでなく、添加物や国産へのこだわりなど、審議会でもんできたのもネットなのだ。それなのに、よその男達が勝手にバラマキで深く考えもせず、出来合いの餌を提供するように「中学校給食の実現」なんかいってほしくない。

いやいやいや。そういうことはいうまい。
問題は市民なんだ。
給食費不払いはどうしようもない市民の不見識である。それをただすべきは市民自身である。また、ほんとうに払えない人たちのためには、就学助成金の中から払うという手もあるだろうし、あまりに悪質な不払いの場合は、保育料や、学童の料金の場合のように、支払い計画を提出しない限り、措置を再検討するのと同じような方向も考えられるのではないか。だからこそ、市民がやるべきことと行政がやるべきことをしっかり市民と行政で仕分けし、市民が行政をコントロールする力をつけなければいけないのだ。

というわけで、件の男性には再度支持をとりつけた。
よかったっ。

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仕事が一区切りついたので、センタイに復帰する。
今日は夜ペコする。
ペコというのは頭をさげること。朝夕夜で朝ペコは朝7時前後から、夕ペコは6時7時、夜ペコは9時過ぎからだ。今日は9時から10時半まで夜ペコした。

だいたい、こんなんなんになるんだという考えもある。
しかし、駅ペコだけで当選してしまうひとがいるという現実もある。某他市の市議は半年朝ペコして市議選に当選。さらに朝ペコして、二期目は県議にご栄転遊ばしたのだ。一度も駅頭街宣してるのを聞いたことがない。政治をやるくせに、一度も演説せず、ペコのみで当選ってなによ。あれにはあきれた。

だが、それで当選するのなら、やってやろうじゃないの!ってことになるのだ。
やるからにはしっかりやろう。
頭を下げていると、ほんとうに投票してくれよというキモチになってくるから不思議。日本人の政治文化かしら。他党派も駅ペコしているが、全然言霊がない。
「こんにちわ〜。○○で〜す。よろしくお願いしまぁ〜す。」
ティッシュ配りじゃないんだからさ。

駅ペコも一期一会。
目を合わせて頭を下げていると、伝わってくるものがある。

しかし、この繰り返されるペコ。
市民をバカにしてるよなあ。

選挙は祭りだった。
祭り=祀り=政
タケヤブはそれでいいと思っている。議会が解散して、そして新しい議会構成員が選ばれるっていうのは、大げさにいえば、共同体が死んで、再生することなんで、祭り=祀りといって間違いではない。だから、一大イベント大騒ぎして選挙するべきなんだが、投票率が半分以下というのでは、祭りになりゃしない。

今回、フィナーレをどうするかという話になって、ビックリ仰天した。タケヤブがはじめて西東京の選挙に参加した12年前の時はフィナーレは夜の8時。駅頭だった。6時頃から駅前商店街を練り歩き、ご当地の皆さまに挨拶しながら、駅に付き、8時に終わるように駅前集会だった。マイクをつかっていのが8時までだからだ。8年前は、逆に、5時頃駅前で集会し、住宅街へ練り歩き、候補者の近所で6時過ぎに感謝の集会をした。そして、あとの2時間選挙カーは地域をながし、その他運動員は9時過ぎまで最後の電話掛けをしておわったのだ。ところが4年前は1時に駅前集会をしたのみで、フィナーレらしいフィナーレはなしだったという。なんということ。今回も下手をすればそうなりそうな気配。

選挙は祭りではないのだな。すでに。
政治を変えようというものと、市民とが、何ものかを共有できないのはなぜだ?
政治が日常生活の中になくなったのだろう。眺める者は友達とのメールのやりとりや、ドラマ。耳にはイヤホン、手には携帯。そしてインターネットを介して、同じ興味の対象を持つ者だけのコミュニティーに閉鎖的に生息する現代日本人。

共同体に祭りがなくなるのと、
政治に無関心になるのと、
投票率の低下は同じ現象なんだろう。

選挙が祭りでなくて、かつ高い投票率っていうのは、自立した市民が形成された時だろうけども、有史以来そんなことは一度もなかった。民主主義がいい制度だなんていう政治思想は圧倒的に例外であって、ギリシャ以来政治思想は皆、民主主義が一番ましだけども、どうやって機能させるかに悩んできたんだから。

次回の選挙をどう組み立てるか。
これはほんとうに真剣に考えなくちゃならない。
これは生活者ネットだけの課題ではなく、全世界的な課題だけどもね。
支持をお願いできますか?とお訪ねすると
1「よく考えて決めます」という。
あるいはどなたかお支持がおありですか?と聞くと
2「いろいろたのまれてね」という。

これが気に入らない。
1は
そんなによく考えるんかい。と
いいたくないんでしょ。いえばいいじゃん。あんたに入れたくないと。
2は
頼まれた人にいれるんかい!!たのまれたら入れるんかい!
これもいいたくないんだと思う。

政治的態度を表明するのってそんなにイヤなことなんだろうか。

こないだ電話した方が次のようにお話しされた。
以前はネット支持者だったんだが、
「ごめんねぇ。今回も気持ちは支持してんだけどさあ。夫の組合の人がたつのよぉ。義理があるのよ。ごめんねぇ」
こういう風にすっきりいわれれば、こっちも納得する。

どうにも、日本人は自分の政治的態度をいわない。これはイカンよ。
何かテーマがあって話し合う。その話し合いできちんというためには,考えるだろうし。態度を明らかにするって大事だと思う。うん。

保育園や学童クラブの役員をしたときには共産党支持者が多かった。学校の役員にはかならず公明党支持者がいた。でも、それは何かをいっしょにやるのに障害にはならなかった。団体として態度表明する時に、タケヤブは少数意見になる。

たとえば、学童職員の嘱託化に反対するとき、その理由が責任のある保育ができないというものだった。保育のレベルが下がるとかそういう意見もあった。タケヤブはなにがなんでも正規職員(正職)ありきとは考えていない.タケヤブ自身が時間講師というパートだし、そのパートで20年以上つとめてきたわけで、正職ではできない自由な判断というものもあり、嘱託や臨時職員(臨職)パートが正規職員をうまく連携すれば正規職員だけよりもいい仕事ができるのではないかと思っている。またそもそも多様な働きかたがあっていいわけだ。たとえば、十分に経験を積んだ人が事情があって正規職員をおりる。その人が臨時職員、嘱託になる。そして新卒採用の新人正規職員を育てていくということだってあるわけだ。大きな組織では一律の基準も必要だろう。しかし、せいぜい10余の学童クラブの職員について弾力的判断ができないはずはない。嘱託がちゃんと仕事をするための条件整備と、嘱託そのものの是か否かということは別問題で、条件整備を考えないで、最初っから嘱託否定は違うのではないかとおもったのだ。

だから、そのように主張した。議論になる。まあ、多勢に無勢で通らないけども。しかし、主張する、そういう意見もあるってことがその場に示されることが大事なのだ。多数意見も少数意見もお互いに学ぶことはあるはずだ。そして、そのことにより人間関係がまずくなったことはない。公明党支持者のなかにも大好きな人はいる。むしろ、自民党系の人との方が人間関係は難しい。だってわからないからだ。お互いにわかっていれば、そうとわかって関係を作っていける。しかし、わからなければ作っていけない。不意打ちをくらってとまどったりする。

だから、意見を表明しよう。
そういうこと(政治的話題)は話したくはない。ではなく、話し合おう。
そうすることで、イヤな言葉だけど「民度」があがる。市民が賢くなれば、政治も成長せざるをえなくなるのだ。市民をバカにした政治家をおいとかないためにも、しっかり意思表示しよう。

今日の天気を話すように、政治の話題、選挙の話題ができれば、ずっと気持ちがいいと思うが、どうか。
生活者ネットワークには三つのルールがあって、そのルールがネットをつくっている。

1:議員はローテーション
 議員は職業ではなく、だれでもできるしくみであるとして、最長3期12年。なるだけ2期8年でローテーションしていく。議員卒業後は地域の市民活動に議員経験を生かす

2:議員報酬は政治活動資金として使い、お金の流れはすべて公開する。
 議員報酬は資金管理団体が管理して、議員はそこから活動費として月々20万円を受け取る。その他は事務所の維持費や市民の活動費、選挙費用のための貯金などになる。

 これは画期的な仕組みだと思う。
 一銭もない市民がいろんな活動をできるからだ。なにか調査をするための費用、何かイベントをするための費用、本を買いたいとか、その時に費用のバックアップをしてくれるのは助かるのだ。また選挙に出る時だって、資金とノウハウと人脈が蓄積されているのは非常に有難いことではないか。
 ほんとにこのアイディアを思いついた人はいいことしたよ。

3:選挙は全て手作り
 選挙は市民のカンパとボランティアで行う。
 これもまた画期的な仕組みだ。この活動に参加することでいろんなことを経験する。そこで人のつながりや一歩前に踏み出す経験ができるのだ。選挙で出会って話をして、次に一緒に何かの活動が始まったりする。どちらにしろ、自分の政治的立場を意識するだけでも大きなことなのだ。

こうやってどんどん議員経験者が増えていくことで、市民の中に人材が蓄積されていく。そして議員ひとりひとりにそれぞれの人脈があるわけで、だから一声かければ500や600の動員は簡単!!(なはず・・理論上は・・爆)

まあ、ともかくネット経験者が地域でいろんなことをしてるので、わが母などは家事援助ヘルパーさんもディサービスも基本的には自分の娘の知り合いのところだというふうに位置づけている。だもんで、明日はAさんとこへいく(デイ)今日はBさんが来る(ヘルパーさん)という感じで新しいサービスにもなじみが早いのだ。

これを「市民力」といわずしてなんという。
なぁ〜んてね。

もうひとつ。
ネットでは議員を代理人という。
代理人ってのはrepresentative(代議制)からきてるんだと思う。つまり、議員は市民の意見を代弁するのであって、自分の主義主張の政治活動をするのではないということだ。市民の意見をもって議会にでて、判断が必要な場合は、市民に持ち帰って議論して判断するのが原則だ。また代理人の持ち帰る情報量は非常に多いので、この情報を持つと持たないとでは大違いなのだ。市民にとって代理人がいることの意味は大きいよ。持ってみるとわかるけど。

西東京ネットでは過去一度現職議員を落としたことがあって、そのせいで、常任委員会にひとつ属すことができなかった。これはもう大変なことだった。わからないのだ。だから、複数議員。できれば全ての常任委員会に属すことのできる数の議員をもっているとすごく有利なんだな。だからきつくても複数当選をめざして擁立するわけだ。

さて、この仕組みの欠点というか、乗り越えなくてはならないのが、代理人/議員がうけとる活動費20万だ。通常は40数万のはずがその半分以下。税金、各種保険はネット持ちなんで、手取り20万ということになるが、仕事として考えたら、とても引き合わない安さだ。議員は激務だ。出張もあるし、公人としての社会的責任もある。勉強もしなくちゃいけないし、それで20万かいって感じもある。

おそらく、
あれだけの仕事を20万でやるのかという感覚自体がちがってるんだと思う。
仕事ではなく活動として行っている。
その活動を支える活動費が20万なんだろう。

ここがだ。
つまり、あれだけの時間をとられて、かつその報酬(ではないにしても報酬だわな)が20万というのは、余裕がないとできない。本人の他に稼ぎ手がいない家では不可能。だいたい、8年しかできないわけだから、その8年のあとキャリアをどうくみたてていくか。そこも難しいとなると、結局は夫にある程度収入がある専業主婦に限定されてくるのだ。

例えば私の場合。10年若かったとして、やるかというとやれない。
だって8年もブランクがあれば今の仕事にもどれないから。

もともと生活者ネットワーク自体が専業主婦の運動体ってことがあって、私のような夫の扶養家族ではない主婦というのは例外的な存在だと思う。だから、専業主婦的発想をいかに変えるかが、私の役目だともおもっている。

さあ、どうなるかな。
統一地方選の前哨戦ともなるクリスマス選挙、始まりましたよ。





この写真は今日の私の自転車の荷台だ。
パソコンバッグ、寸胴鍋、畑脇で勝った白菜、最近通っているフィットネス用バッグが入っている。

ママチャリ2

二枚目は前カゴだ。ここにも野菜が入っている。小松菜の水菜。黄土色の袋は駅前のビルで買った長男のネクタイ。ライブ用におしゃれな細いもの探していたのだ。緑のトートは今のセンタイ事務所通い用バッグだ。クリアファイルが顔を出している。手前のIBIZAの財布は私の幸運アイテム。この夏の「蟻の兵隊を観る会」の活動もこの財布で乗り切った。

このママチャリの前後満載の荷物が私にとっての政治を象徴している。
政治とは生活の一部である。子どもやご飯や洗濯物やそれといっしょに「私がする」ものだ。私から政治活動の権利を奪うなといいたい。政治は人間にとって日常的表現なのだ。


それにしても、「美しい国」は、この私の自転車の延長上にみえてくるのか。「美しい国」でなくとも、その他国政というのは非常に遠い。私自身、いつも当落線上の野党に投票するわけで、ここのところいつも民主にいれてるけども、それでも非常に遠い。政策が私たちの生活に影響を及ぼすことは明瞭だ。しかし、その政策を決定していく政治過程が遠いのだ。

政治を語る人。その人の匂いがない。
その人は何を食べ、どんな風に眠り、どんな喜びや怒りを持っているか。
そういうものが見えない。
アベシンゾーはその典型だ。毎日サプリメントとカロリーメイトとミネラルウォーターみたいな人間だと思う。小泉はまだ、自分の人間をみせようとしていた。だから喧嘩相手と認識できるが、アベシンゾーはまったくダメだ。

私はスローガンに共感できない。
観念と実感がふたつながらそろわないと動けないのだ。

政治がボトムアップじゃないってことだ。

時々妄想してしまう。
国政選挙のボイコットだ。国民がいっそのこと投票を拒否するとどうか。
自治体選挙も政党にはいれないで、市民派だけにいれる。そんな運動を展開するのはどうか。日本の政党政治が政党本来の国民代表ではなく、利益集団の代表になっていることを打ち壊すためには、それくらいしなきゃどうしようもないんじゃないか。

デキナイダロウケド・・

ともかく、今の状況を打ち壊すためには、あたらしい政治過程を作っていくしかないんだと思う。政党の議員じゃだめなんだよ。結局モンスターにとりこまれてしまうから。だから、なんとかふんばって、自分のエリアだけでもしっかり自分の意見が通るルートを確保すること。それが大事なんだよ。

みんな、投票マシーンになるな。
今の政治過程に取り込まれるな。
自前の議員を持とう。
自前の議員に仕事をさせる自前の運動体、活動ネットワークをつくろう。
それしかないと思う。




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ILLUSTRATION BY nyao